楽しんでいると言っても、私は一緒に踊るわけではなかった。
アルトサックスのブオーという太い音色で「ある愛の詩」が演奏されると、それに合わせて男女が情熱的にチークダンスを踊り始めた。
愛情たっぷりに。
それを映像のヒトコマのように眺めているだけで十分楽しかった。
私以外にモスクワ大学へ交換留学で訪れていた友人や、そのガールフレンドのイネスという東ドイツの女の子、駐在でこちらに来ていた三菱商事の商社マンなど日本人の知り合いも多くいたが、私だけがステージから離れたラウンジで、ウオッカを味わっていた。
するとそこへボーイッシュなショートカットの金髪の美女が音も無く私の横に座った。指には煙草が挟まれてあった。
「あそこで踊っている女の子は貴方のガールフレンド?」と尋ねてきた。
「ニエット」と僅かに覚えたロシア語で答えると、「それなら私の部屋でゆっくりと飲まない?」
と誘ってきた。
随分と熱心に口説かれたのだが、友達がいる事だし
ここを離れられないよと拙い英語で説明していると、交換留学の友人が何気に傍に寄ってきて囁いた。
「彼女は高級娼婦だぞ」
ロシア人にもててると、カン違いも甚だしい私の危険な夜だった。